コンテンツにスキップ

核融合研究の歴史

核融合研究の歴史は、「なぜ太陽は輝き続けるのか」という素朴な問いから始まりました。その答えを探る旅は、量子力学の誕生、冷戦下の機密研究、そして国境を越えた国際協力へと広がっていきます。このページでは、100 年を超える核融合研究の歩みを、時代を追いながらやさしくたどります。歴史を知ると、いま私たちがどこまで来たのかがはっきり見えてきます。核融合そのものの原理は 核融合とは で説明しています。

太陽の謎を解く(高校レベル)

Section titled “太陽の謎を解く(高校レベル)”

19 世紀の終わり、科学者たちは大きな謎を抱えていました。太陽はとてつもない量の熱と光を、何十億年も出し続けています。もし太陽が石炭のように燃えているだけなら、数千年で燃え尽きてしまう計算でした。太陽のエネルギー源は、当時の科学では説明できなかったのです。

この謎に光を当てたのが、イギリスの天文学者エディントン(Arthur Eddington)でした。1920 年、彼は「太陽の中心では水素がヘリウムに変わっていて、そのときに生まれるエネルギーが太陽を輝かせている」と提唱しました。水素の原子核 4 個が合体してヘリウムの原子核 1 個になると、ほんの少しだけ質量が軽くなります。この消えた質量が、アインシュタインの E=mc2E = mc^2 にしたがって膨大なエネルギーに変わる、というアイデアです。これがまさに核融合であり、私たちは太陽という巨大な核融合炉のおかげで生きているのです。

ここから、「太陽と同じことを地上でできないか」という夢が生まれました。もし水素からエネルギーを取り出せれば、燃料は海の水にほぼ無尽蔵に含まれています。この夢を実現しようとする挑戦こそが、これから語る核融合研究の歴史です。

理論から実験へ(学部レベル)

Section titled “理論から実験へ(学部レベル)”

エディントンの提唱には、大きな理論的な壁がありました。原子核はどれもプラスの電気を帯びているので、近づけようとすると強く反発し合います。この反発を電気的な障壁(クーロン障壁(Coulomb barrier))と呼びます。太陽の中心は約 1500 万度と高温ですが、それでもクーロン障壁を古典物理で乗り越えるには足りません。エディントンの説はしばらく行き詰まっていました。

突破口を開いたのは量子力学でした。1928 年、ガモフ(George Gamow)は量子トンネル効果(quantum tunneling)を発見しました。これは、粒子が古典的には越えられないはずの障壁を、確率的にすり抜けてしまう現象です。トンネル効果のおかげで、太陽の中心程度の温度でも原子核はときどき障壁を透過し、核融合が起こせることが説明できました。

理論が整うと、実験が続きます。1932 年、コッククロフト(John Cockcroft)とウォルトン(Ernest Walton)が加速した陽子をリチウムに当て、人工的に原子核を変換することに初めて成功しました。そして 1939 年、ベーテ(Hans Bethe)が恒星内部の核融合反応の道筋を体系的に解明します。彼は軽い星で主に働く陽子・陽子連鎖反応(pp chain)と、重い星で主に働く CNO サイクル(CNO cycle)を明らかにしました。この業績によりベーテは 1967 年にノーベル物理学賞を受賞しています。ここで、太陽が輝く仕組みは理論として完成しました。

機密研究とジュネーブ会議(学部〜大学院レベル)

Section titled “機密研究とジュネーブ会議(学部〜大学院レベル)”

第二次世界大戦後の 1950 年代初頭、米国、ソ連、英国はそれぞれ独立に、制御された核融合の研究を始めました。当時は核融合が軍事技術と近いと見なされ、研究の多くは機密とされていました。各国は互いの成果を知らないまま、別々の道を歩んでいたのです。

この時期に、後の主流となる二つの装置の原型が生まれます。ソ連ではサハロフ(Andrei Sakharov)とタム(Igor Tamm)が、ドーナツ型の磁場でプラズマを閉じ込めるトカマク(tokamak)を考案しました。米国ではスピッツァー(Lyman Spitzer)が、磁力線をねじって閉じ込めるステラレータ(stellarator)を発明しました。どちらも高温のプラズマを磁場の力で容器の壁から離して保持しようとする、磁場閉じ込め方式です。一方、1952 年のアイビー・マイク(Ivy Mike)実験では、制御されない核融合、すなわち水素爆弾が初めて成功しました。エネルギーを取り出す難しさは、爆発ではなく、穏やかに持続させることにあったのです。

転機は 1958 年に訪れます。ジュネーブで開かれた第 2 回原子力平和利用国際会議で、各国が核融合研究の成果を公開したのです。機密のベールが外れ、研究者たちは初めて互いのデータを比べられるようになりました。ここから核融合研究は、国際的に開かれた協力の時代へと踏み出します。

トカマクの衝撃と大型装置の時代(大学院レベル)

Section titled “トカマクの衝撃と大型装置の時代(大学院レベル)”

1960 年代、多くの装置が試されましたが、プラズマの温度や閉じ込め時間はなかなか上がりませんでした。プラズマは不安定で、すぐに乱れて熱を逃がしてしまうのです。研究者の間には停滞感が漂っていました。

その空気を一変させたのが、ソ連のトカマク T-3 でした。1968 年、ノボシビルスクで開かれた国際会議で、ソ連チームは T-3 が約 1000 万度という当時としては桁違いの電子温度を達成したと報告しました。あまりに良い結果だったため、西側の研究者は最初これを信じませんでした。そこで英国カラム研究所のチームがレーザー散乱による測定装置を持ちこみ、独立に検証を行います。結果はソ連の報告を裏づけるものでした。この検証によってトカマクの優位性が国際的に認められ、世界中の研究がトカマクへと大きく舵を切りました。

以後、各国は大型トカマクの建設に乗り出します。1980 年代には、米国の TFTR、欧州の JET(Joint European Torus)、日本の JT-60 が性能を競い合いました。閉じ込め性能の面では、1982 年にドイツの ASDEX で高閉じ込めモード(H モード(H-mode))が発見されたことが決定的でした。ある加熱条件を超えるとプラズマ周辺に輸送障壁ができ、閉じ込め性能が段階的に跳ね上がる現象で、現在のトカマク設計の基礎になっています。

実際の核融合出力でも成果が積み上がります。1994 年に米国の TFTR は重水素と三重水素を燃料とする D-T 実験で核融合出力を記録し、1997 年には JET が核融合出力 16.1 MW を達成しました。この JET の記録は、長く実験室での核融合出力の最高値であり続けました。日本の JT-60 は D-T 燃料こそ使いませんでしたが、重水素プラズマの実験から、仮に D-T 換算したときのエネルギー増倍率(Q 値(fusion gain))が 1 を超える等価性能を示し、プラズマの高性能化に大きく貢献しました。JT-60 の知見は、後継機である JT-60SA や ITER の設計に受け継がれています。

国際協力から点火、そして民間へ(博士課程レベル)

Section titled “国際協力から点火、そして民間へ(博士課程レベル)”

大型装置の成功は、次の課題を明らかにしました。エネルギー源として成立する規模の装置は、一国だけでは費用も技術も負担しきれないほど巨大になる、ということです。ここで国際協力という発想が現実味を帯びます。1985 年のゴルバチョフとレーガンの首脳会談を契機に、各国が力を合わせて一つの実験炉を建てる ITER(International Thermonuclear Experimental Reactor)構想が動き出しました。長い交渉を経て 2007 年に ITER 機構が正式に設立され、日本、欧州、米国、ロシア、中国、韓国、インドの 7 極が参加する、人類史上最大級の国際科学プロジェクトとなりました。ITER は核融合出力 500 MW、投入した加熱電力の 10 倍以上のエネルギーを生み出す Q10Q \geq 10 の達成を目標としています。計画の詳細は ITER プロジェクト で説明しています。

磁場閉じ込めとは別の道も進みました。強力なレーザーで小さな燃料ペレットを一瞬で圧縮・加熱する慣性閉じ込め方式です。2022 年 12 月、米国の国立点火施設 NIF(National Ignition Facility)が、投入したレーザーエネルギー 2.05 MJ に対して 3.15 MJ の核融合エネルギーを得ることに成功しました。核融合が生み出したエネルギーが、燃料に注ぎこんだエネルギーを上回る点火(ignition)を、人類が初めて実験室で実証した歴史的な瞬間でした。NIF の詳しい仕組みは NIF(国立点火施設) で扱っています。

そして 2010 年代後半、核融合の歴史に新しい登場人物が加わります。民間企業です。高温超伝導(high-temperature superconductor)を使った強力なマグネットなど、要素技術の進歩を背景に、これまで国家の事業だった核融合に民間資本が流れこみ始めました。米国の Commonwealth Fusion Systems や TAE Technologies、Helion Energy などが、それぞれ独自の方式で炉の実現を目指しています。日本でも京都フュージョニアリングのような企業が世界的に事業を展開しています。この民間参入の動きは 民間核融合ベンチャー で詳しく紹介しています。太陽の謎から始まった 100 年の歩みは、いま実用化を見すえた新しい段階に入っています。

問 1. 太陽のエネルギー源が核融合であると 1920 年に提唱したのは誰ですか。
問 2. 太陽の中心温度でも原子核がクーロン障壁を越えて核融合できるのはなぜですか。
問 3. 1968 年に報告され、後に英国チームの独立検証で裏づけられて、世界の研究をトカマクへ向かわせた装置は何ですか。
問 4. 1997 年に JET が達成した核融合出力はおよそ何 MW ですか。
問 5. 2022 年 12 月に NIF が達成した「点火」とは、どのような状態を指しますか。